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かけだし鬼女の 今が日本の一大事! ~よければ一緒に凸しよう!~

政治・経済・歴史オンチのかけだしが包丁とPC片手に、目指せ!凸と家事の両立!座右の銘は「国防は台所から」

日本人が知るべき、戦後の朝鮮半島引き上げの悲劇「竹の森遠く ヨーコの話」概要・後編 

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↓ 今回は前回に引き続き ↓
朝鮮人が排除に乗り出す戦後の引き上げ物語「竹の森遠く ヨーコの話」概要・前編
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/e13fb451b910fb7bcdd796d6426ffc49

「竹の森遠く ヨーコの話」の概要・後編をお届けします。
前編のコメ欄に、実際に引き上げの話を聞いたことのある方のコメントを頂きましたが、
日本中にこの「竹の森遠く ヨーコの話」が伝える悲惨な体験をされた方が、そのご家族がいらっしゃるのに
それをなかったことにし、日本だけが加害者とされ糾弾されてる現状は異常だと思いました。
そしてこの「竹の森遠く ヨーコの話」がアメリカで在米朝鮮人にデタラメとして排除運動されてることも。
日本中に、この朝鮮半島引き上げの、朝鮮人が日本人に好き放題した、悲劇を知ってる人はいるのに。

下朝鮮は売春婦「ハルモニ」が生きてるうちに「慰安婦問題」の解決をするニダ!つうてますが、
こちらこそ戦争を知る世代がご存命のうちに、
「慰安婦問題」「南京事件」は日本を不当に貶める朝鮮・支那人の嘘であることを白日の下に晒し、
日本人こそ「敗戦国」というやるせない立場の上に、不当な扱いを受けたこと、
そして、日本人として戦ったのに、敗戦決定後に戦勝国気取りで暴虐の限りを尽くした朝鮮人の悪業を
自虐史を信じ込んでる日本人に知ってもらわねば、そう思った次第であります。

=====

「竹の森遠く ヨーコの話」の概要・後編

<7.難民キャンプ >
「あれが祖国よ」母が船上で朝霧の中言った。島が見えてきた。
祖父母が食べ物をくれ、快適な寝床を用意してくれるだろう。
船酔いしてても興奮してきた。荷物を準備した。船が福岡に着岸した。

日本人の男性が案内をメガホンで話してるが訛りで理解できず。非難民の受付場所を探す。
何年も夢見ていた美しい祖国が、一面焼け野原で全て破壊されていた。
それに加えて日本人男性が
「何で帰ってきた?お前らがいなくても困らない」私はアスファルトの穴に落ちた。


二時間歩いて難民キャンプに着く。
女学校の講堂。行き先が見つかるまで、100人位がそこに滞在する。
一角を見つけ、荷物を降ろす。
委員会の人が言うには自分で食料を調達する必要があるとの事、トイレは使えるとの事。
ザックには半分腐ったリンゴとミカンの皮があった。私はお腹がすいていた。
コウが「待って。食べちゃダメ」という。
外で石を組み合わせてコンロを作る。リンゴのカケラと水を入れ調理する。
母「祖国での最初の食事よ」と、木製の茶碗にそそぐ。
母「そして、焼きトウモロコシ以来の温かい食べ物よ」「この茶碗とここの少しのモノが我が家にあったものです」
祖国での最初の夜、毛布にくるまって三人で寝る。
空爆や強姦や泥棒に怯える事なく眠れる。夜トイレに行く時はコウを起こした。


母が、郵便局から青森の祖父に手紙を送る。
二日後、配達不能と送り返されてきた。母は心配し始めた。青森で何かあったのか。
コウが「すぐ青森の実家へ行こう」という。
母「ヒデヨなしで行けない」
「今、私達は、ヒデヨの場所よりは全ての面で安全」母は涙ぐむ。


不思議と父については考えない。
今、父は戦勝国のソ連の手にあるのだろう。父の安全を祈る。
朝鮮から船が来るたびに、母はヒデヨを捜しに行った。ヒデヨについて説明し聞いて回った。
毎週、100人の避難民が朝鮮から来たが、ヒデヨの姿はなかった。

11月になった。滞在一カ月を超えて、出てゆくように言われる。
母がヒデヨがいると抗議。コウは今日出て行きましょうという。
事務所に、ヒデヨ宛てのメッセージ「青森にいる」を残す。
私達は朝鮮の列車に比べ日本の列車の小ささに驚く。


非難民と兵士で車内はびっちり。
車内は腐った魚の臭いでひどいが、祖父母に会える事で興奮していた。
母が京都でおりましょうという。
私とコウが「ぱあちゃんちにいかないの?」と叫んだ。「何回も考えました」と母。


<8.京都駅での生活 >
京都は空襲を受けなかった唯一の街、教育機関もある。
コウが「母さんと北に行く」と言う。
母は首を振る。貴方の女学校の手続きを先にして、それから北に行きましょう。
列車内はかなり混んでいる。3人よりかかってなんとか乗り込み、三日列車に乗った。
空腹と喉の渇きで胃が痛い。ミカンの乾燥した皮を何回もかんでのんだ。母とコウも。


京都駅についた。場所を見つけ、井戸に水汲みに行く。三人で眠る。
翌朝、路面電車を初めてみる。人々はきびきびと電車を降りる。
コウ「仕事に行くんだと思う」


別世界、駅は乞食・避難民・負傷兵などがいて、数フィート向こうはきれいな服を着て、仕事がある人々。
母は市役所に学校について聞きに行った。母はコウに10円与えた。
駅ホテルのゴミ箱に行き、焼き魚やごはん、ピクルス、海草などを拾う。
駅に戻り、ごはんをひろげ、「学校について聞いてきました。明日、あなたを入学させます。」


私は「服がない、靴も破れていていけない。学校にいってたし教養もある」
コウはその日の残りナナムから持ってきたブラウスとズボンを洗って干す。
私はベンチの下で早く休む。母に早く起こされ、コウに服を着せられる。
母と路面電車に乗り女学校に向かう。


車内で母が京都の説明をしてくれた。
学校についた。みなきれいな身なりをしている。緊張する。
事務員の女性がお茶を出してくれる。校長と面会。


母が、通知票、家族の状況、父の職業、私の成績を説明する。
「生き残られた!」校長は言った。「私達はやりました」母が言う。
校長が父について聞き、母が答える。
校長「喜んで受け入れなければ。追いつけると思う」校長が必要なものを説明。
事務員のアサダさんを紹介。


アサダさんがヨーコの書類を見る。
アサダ「朝鮮とは教育方式が違います。テストしましょう」母が、校長にお辞儀、私に3円渡す。
私「行かないで」、母「路面電車の3番で帰りなさい」「姉の学校の手続きがあります。」
母が去っていった。私は孤独で涙を流した。
ハンカチがないので、袖で涙をぬぐう。テストが終わった。


アサダさんがテストをみて「とてもよいです」と言った。。
校長とアサダさんがやさしく、この学校が好きになる。校長が生徒手帳をくれる。
アサダさんと一緒に教室へ行く。30人の生徒が私を見る。
紹介され、お辞儀をすると生徒が笑いだす。
「静かに、彼女は朝鮮から戻ったばかり。よい生徒です。慣れるのに協力してください」
とアサダさんが言ってくれる。


掃除当番を決められ、着席する。他の子は綺麗な服、長い髪で、私は場違いに感じた。
歴史の男教師が来て授業。私は、鉛筆もノートも無い、聞くだけ。
孤独を感じ涙が出る。ゴミ箱から紙を拾う。鉛筆はない。

他の女性とが「紙欲しい?」と紙飛行機を折って私に投げてきた。他の生徒が笑う。
私は無視して紙を集めた。食料集めより楽だった。
私は雑巾が無かった。ほうき係をしたが、そのそばからゴミを再び散乱された。
もし、彼らが私達家族の体験をしたら、同情するだろうと思った。


ゴミ回収(用務員)のおじさんがくる。おじさんはどもり。女子がマネをする。
後で、用務員のおじさんに焼却炉について聞き、事情をゆっくり説明。
焼却炉の前で、鉛筆と紙きれを沢山得る。路面電車の中で、歴史と地理の授業内容を書く。


古本の教科書を買えるまで、アサダさんに教科書をかりようと思った。
京都駅について、母の元へ戻る。紙と鉛筆を見せる。コウは戻ってない。
母「お父さんが戻るまでの辛抱です」
コウは結局、大学に合格した。


ベンチで勉強し、ゴミ箱から食料を調達した。六か月分の授業料が払われた。
母は明日、早朝列車で北に行くと。
「朝鮮からある程度のお金はもってきた」と母。母が出発した。

コウが学校用の荷物を手提げ袋に用意してくれた。
「駅の時計の下で学校終わったら会いましょう」とコウ。
私が教室に入ったら他の女子が「ゴミの為に袋を持ってきたの?」と言ってきた。
この時は私は口答えした「何か問題ある?」他の女子全員が笑った。
私は、コウが意に介さないといっていたのを思い出した。
しかし、心の底ではコイツラをたたきのめしてやりたかった。


ゆっくり話すとゴミ収集男は話ができた。京都はナナムよりかなり暖かいとか話した。
ゴミ収集男はコンパス、ハサミ、計算尺、辞書を取っておいてくれた。
父の教え(ゆっくり話せば大丈夫)は正しかった。
5回目の朝に女子が掲示板に集まっていた。
私の焼却炉でのゴミ拾いしている絵が描かれたいた。
「民主主義制度!嵯峨野はゴミ拾いを受け入れた!」と書かれていた。
私は、もうこの教室で過ごす事はないと思った。
ゴミ収集男は「このくそ女ども!」と叫んでくれた。絵を引き裂いてくれた。
「教室に行きなさい」と男は言ってくれた。笑顔で返すと「そう笑顔で」と言ってくれた。
なんとか教室をやりすごし、焼却炉で長めにいた。もう学校にくるつもりは無かった。


駅に戻って、コウにどう言おうか考えた。まだコウが戻ってないのをホッとした。
帰宅の人々が羨ましかった。家があり、家族があり。
コウが返ってきた。食料調達に行く。数時間後にまた来よう。
「その後で宿題をやろう」とコウ。
結局、コウに言えなかった。数日間なんとか学校を耐えた。

金曜日、母が帰ってくる日、コウに学校をやめられるか聞いた。
コウ「だめ、授業料も払ってるし、あなたは無駄な日を過ごすことはできない」
母が来る日、学校が終わるのが待ち切れなかった。
軽蔑の目が来ても、焼却炉に走っていき紙を集め、走って路面電車にいく。
母を見つけた。毛布をは羽織り、小さく見えた。
「おかえり。寂しかった」と再会。


青森では、母の両親と父の両親が7月の爆撃で死んでいた。
母「土地を売りに出し、もしヒデヨか、父から連絡があればと、コウの学校の住所を役場に書き置きしてきた」
スペースができたので母は横になる。私は母を守らなければと思った。
母「喉が渇いた」私は井戸に行った。


母に水をくみに行った。母は病気だった。水を飲んで、また頭を上げた。
母「コウに会いたい」
私「食料をもってくるよ」コウが早く帰ってくればいいのにと思った。


<9.母の死と新生活 >
母の頭が滑り、右手が落ちた。母は死んだ。泣き叫ぶと周囲に人が集まった。
警察に事情を聞かれ、医者が呼ばれ死亡確認された。
やっとコウが帰ってきた。驚き、信じられない様子でひざまづく。そしてコウは泣きだす。


ナナムから全ての道を用意してくれたのに、なんで今なの?
母に飛び込んで泣いた。持ってきた食料を床に投げつけた。乞食や孤児が集まった。
警察が葬儀業者を呼ぶ。葬儀業者が棺桶の希望聞く。値段を聞くと20円。
私はコウに朝鮮語で「ぼったくられてる」という。コウも頷く。
ガソリンとトラックの使用、車で1時間半かかるとの事。
コウは計算して車種を聞いた「ダットサン」
「車と板だけ用意して。市役所に頼む」とコウ。
「市役所なら無料でやってくれる」とコウ。
業者の男は出て行こうとしたが、再度振り返り「私達がやりますよ」
警察が、私達の周りの人を追い払ってくれた。コウと私は母を清めた。
母の隠しポケットの証券やコイン、朝鮮からの避難民証明書、大切な剣をザックに入れる。
母の靴下を脱がせコウがはいた。コウは母の手を胸で合わせた。


駅にいた婦人(駅住人でははない)が声をかけてきた。
「マスダといいます。お気の毒です。なにかお手伝いできますか?」
コウ「私達はトラックを待ってます」
マスダさん「私はあなた方が到着してからみてました。お母さんがどこに行ったのかと思ってました」
コウ「母はいくつかの用をたしに北にいってました。母も貴方が来てくれて喜ぶと思います」
マスダさん「すぐ近くに火葬場があります。一時間半も走る必要は無いです」
コウ「でも、誰かお待ちになってるんじゃないですか?」
マスダさん「私は姪がソウルから帰るのを待ってます。最終列車に乗ってなかったので家に帰るところです」
トラックの男が来て母を乗せた。コウと私は側に飛び乗った。マスダさんは東山火葬場を指示した。
たった、20分だった。マスダさんは運転手に5円払った。
火葬場の人が炉まで母を運ぶ。私は泣いてマスダさんをつかんだ。
コウはしっかり炉の火をみていた。火は早く燃え広がった。私は見られなかった。
火葬場の人「翌朝完了です。骨壷を選べます」
コウ「自分で持ってきます」


駅への帰り途振り返ると煙が立ち上っていた。
マスダさん「行く場所はあるの?」
コウ「ないです。妹と私は半年、この街にいたいのですが」学校について説明した。
マスダさんの夫が市の西部で下駄工場をやっていて、
「倉庫に泥棒が入られた。私達がそこに滞在してもらえるとうれしい。学校は近くなる」との事。


コウは感謝し、明日母のお骨を受け取った後、駅で再会する事に。
悲しみのあまり、この申し出の喜びもなかった。寝られなかった。
翌朝、再び火葬場へ。小さな骨になった母。私はむせび泣いた「お母さん!」

コウは火葬の費用を払い、骨壷を持って火葬場を出た。
お寺の僧にお経をお願いしたら「時間がない」と断られる。
コウ「糞坊主!ただの仕事か?愛は?」
私は、人生で二度と仏教の寺に入らないことに決めた。
マスダさんが倉庫に案内してくれた。路面電車の線路の隣だった。


倉庫の二階に4畳の部屋と最低限の電球。外で料理と、木の切りくずを使う事ができるとの事。
「長い間掃除してないから」とほうきとバケツと雑巾を貸してくれた。
クモの巣を払い、掃き掃除、拭き掃除。掃除が終わったら手と顔を洗った。
部屋に母さんの簡単な祭壇をつくった。
バスタオルを折ってその上の骨壷を置いた。水筒にカエデの枝を入れて置いた。
母の宝物の短剣を骨壷の前に置いた。コウと私で母に見守ってくださいとお願いした。
コウは「30分早く駅に戻っていたら」とむせび泣いた。
「コウにくよくよするな」と言い私も泣いた。
私「母は服で身を包みなさい。と言ってた」
コウ「当然。下着、他の服、紙も含んで。ザックよりも重要」
深い悲しみの状況ではそんな事どうだっていい。駅で食料調達じゃなく、部屋で休憩する事に


部屋には時計がない。暗くなってきたので毛布でコウと寝る。
駅より寒いが、襲われることがないので安心。
母の最後の言葉が繰り返し思い起こされる。母の最後の言葉が気になって眠れない。
コウにその事を言う。トイレの下着と服のやりかたをコウに説明される。

コウに暖められて眠る。路面電車の笛の音で目覚める。
コウはいびきをかいていた。コウが作る朝食が楽しみ。
マスダさんが葬儀トラックの5円払ってくれたから、コウは20円もってる。
温かいごはんにみそ汁。おなかがすいてきた。コウが早く起きないかな。


私は母の最後の言葉がどうも気になった。
コウに包みの結び目を解いてもらい、荷物を出し底を見る。
保険証、誕生書、成績表、父の名札。
コウ「母さんはこれらで保険を集めようと思ってたんだよ」
二人とも、保険は今となっては無意味だと知っていた。
コウは毛布に戻り「荷物もどしなよ」


私は、布の角を見て、反対の角も見た。
反対の角に布の層の間に堅いものが動くのにきづいた。
コウを起こした。堅いのはジッパーだった。
コウはジッパーを開けた。2つの袋を見つけた。千円札と100円札とヒデヨとコウと私の通帳だった。
通帳のお金は我々が逃げる2週間前の7月15日におろされていた。


私は、母がトイレに行くたびに包みをもっていく理由がやっとわかった。お金が大事だったんだ。
コウはお金を数えたら36000円ちょっとあった。
コウ「母さんはいくらかのお金は朝鮮からもってきたと言ってた。これだったんだ」
お金を戻した。緊急の時だけ使うことにした。
コウ「火事の時はこの包みを持ち出すように」「さあ、外に出て、洗いましょう」

いくつかの使われていない家具を発見し、洗って干す。工場はやっていた。
マスダさんと、その夫に挨拶。マスダさんの住んでいるところを教えてもらう。
近所の商店を教えてもらい、行く。コウは米と、味噌と豆腐を買う。
私はヨダレがでた。針、糸、かみそりの刃、洗濯石鹸も買った。


倉庫の外で火を焚き、ご飯とみそ汁を作った。5か月ぶりのまともな朝食だった。
コウは朝鮮兵の軍服を切って生地にした。
もし、戦闘機が爆弾を投下し朝鮮人兵士が死んでなかったら、
もし少しでも違ったら朝鮮人兵士と生死が違っていたと思うと震えた。
川で石鹸を使い生地を洗う。


工場で労働者はラジオを聞いて働いていた。柱時計があった。
労働者は8時から4時まで働いた。マスダさんが4時半に工場を閉める。
路面電車の最終便が12:30。12月になり霜が更に出る。コウはまだオーバーコートを縫い終わってなかった。

私は毛布を羽織り学校に行った。
ある女学生に「ぬいぐるみ人形!恥ずかしくないの?」と言われ「何が恥ずかしいの?」と言い返す。
私は英語の教科書を読む。他の女学生が「ゴミ拾いとぬいぐるみ人形は良い名前だね」と言う。
ヨシダ先生が現れるといつ女学生が静かになる。
私はプライドがあるから女学生の私に対する扱いは先生に言えなかった。
私は叫びたかった。彼女らの愚かさを、生死について学ぶ事を。
私は自分を抑えるのが大変だった。成績で見返すのが唯一の武器だった。
そして教室は辛かったので、焼却炉が楽しみだった。
ナイド氏は私にいろいろなものを取っておいてくれた。
のり、鉛筆、クレヨン、インク、毛筆。彼は海軍に採用されなかった。
彼は初等教育しか受けていなかった。でも、この仕事を得た。
ナイド氏「なぜなら死傷したりして、学校は通常に話せる人を見つけられなかった」
私は、父ならナイドさんを直せると思った。
私、「父さんが帰ってきたら会う?いい人で面白いよ」
ナイド氏「帰ってくるでしょう。帰ってこなければならない」
私はナイドさんに感謝の仕方が分らなかったので、通知票を見せた。通知表は全てAプラスだった。
カートにカンと空き瓶が全て入っているのを見た。
ナイド氏「売るんだ。女学生は物を無駄にする。彼女らの父親は大部分が高名。甘やかされている」
「もし私がカンを拾ってきたら、私のも売ってくれる?」
ナイド氏「いつでもいいよ」
それから私は、下を向いて歩き、カンを見つけたらザックにいれるようになった。
物価は3倍になった。私とコウは生活が苦しい。母の金には手はつけてない。

コウはセイアン大学で家政学専攻で頑張っている。
裁縫が上手く、教授に気に入られ、デパートで作ったものを売った。
着物や、特に洋服。デパートの売れ残りの布を入手し、コウが赤ちゃんや子供向けの服を作り、
私がそれを売り歩く。学校から家まで。
「そのお金はあなたのものだ。靴を買いな」とコウ。
私は母の骨壷の下に売上金を置いた。母に見守ってもらっている気がしたから。
コウは同級生に紙屑をとっておいてもらって、それでお手玉を作った。
私も作り方を教えてもらい、毎晩宿題の後、作った。


私は靴が欲しかったので、たくさん作って売った。
駅では燃料用に新聞を拾った。家に戻ったらコウがすでにいた。
お手玉を全て売ったが、コウは帰りが遅いのを心配していた。
「靴よりヨーコの安全の方が重要」とコウ。夕食を食べる。
コウが食べるのを中断して新聞の一面を見た。
福岡港が閉じられ、避難民に舞鶴港が開かれるとの事。
コウ「ここから1時間だから次の週末に、父さんとヒデヨを捜しに行きましょう」
もうひとつの良いニュース。吉田首相による、避難民へ新年の布団プレゼント。
まちきれない。マスダさんから紐を二本借りて、路面電車で市役所に行く。
市役所で避難民証明書を見せる。職員「どこに3人目がいますか?」、コウ「母は来られませんでした」
承認され、私は一組、コウは二組の布団セットをかつぐ。
路面電車で待っている時にコウに聞くと、「母は生きてることになってる。父とヒデヨの分も必要」と。
朝鮮のころの布団のように快適じゃないが、暖房がなかったからありがたい。


コウと私は、夜なべして人形とお手玉を作る。新聞紙に大きくヒデヨの名前と住所を書く。
コウは小麦と水でノリを作る。小川が凍っていたので、氷を鍋に入れ加熱。鍋を洗い、湯を飲む。
トイレも外で寒い。コウが先に行けば少し暖かくなっている。

舞鶴に行く。ヒデヨの名前は非難民上陸名簿には無かった。
あちこちにヒデヨへの紙を貼る。作ったお手玉や人形を売る。
いくらかの子連れ主婦は喜んで買ってくれた。
私達の身なりで断る家もあった。がんばってなんとか全て売る。焼き芋を買って岸壁で食べる。


家へ戻る。コウは大晦日も大学へ行き何かやっている。寝坊したらしく飛び起き、荷物を用意し、私に指示。
「火焚いといて、カギ閉めて」とコウ。
コウは横暴になってきたと思った。
コウは全ての金を仕切っていたので、私は何も食料雑貨を買えなかった。
学校からままっすぐ帰らないで、もっと稼ぐために営業しよう。


いじめにコウの方法で対処していたら、余計に孤立した。
「どのくらいの間ボロの格好でくるの?」と聞かれた。
両親がいれば、父さんが帰ってきて抱きしめてくれれば。
ヒデヨと父が帰ってきて普通の暮らしができてたらと思うと涙を拭いて鼻をすする。
食事時の笑い声。他の少女が羨ましかった。


ナイド氏が来て、5円くれた。カンが売れた。なんで泣いてるのか聞かれた。
「ヒデヨと父が死んでない事を望む」と私。
「戻ってくるでしょう」とナイド氏。


今日は大晦日で多くの人が神社や街の中心に行く時期。大晦日で人が多い。
私は家を回るのでなく、通りで売ろうと小さい手押し車を押した。
私は北野神社に決めた。売るのによい場所を見つけた。突然コウを見つけた。コウは靴磨きをしていた。
私は、コウが靴磨きで私を食べさせてくれていたと気付いた。
そして、新年の食べ物の為に、こうやって靴磨きをしている。
磨き終わり、男から金をもらっていた、ポケットにお金を入れた。
コウ「靴磨き!靴磨き!」
私は家路に戻り、コウと私の正月の食べ物を買う。
ナイド氏の売ってくれたカンの5円で。店に着いた時、雪が降っていた。

2杯の米、魚、海草の狭い細片、オレンジ、ごく小さい一袋の緑茶、急須。
大晦日なのでコウにお茶を飲ませてやりたい。
てこずったがなんとか火をおこせた。学校に行く前に汲んでおいた水は凍っていた。
火で凍った水をとかしている間、米をとぐ。
蛇口は凍り、小川も凍っている。踵で氷を割って米をとぐ。


コウが帰ってきたとき、水は沸騰していた。
コウ「今日は寒くて風が強い」
私「おかえり。お湯の準備ができてるよ」
コウ「あなたにはできると思ってたわ」
私「もう一つコンロが必要だね」
魚買った件、カンで稼いだ件を話す。コウも稼いだ件を話す。


今年は、コウは17才、私は12才。コウはお湯を飲んで体を温めた。
もうひとつのコンロを作る。魚は頭と腸を取らない。コウがみそ汁を作り、私は魚を焼く。
ささやかな大晦日の食事だったが、私達には御馳走だった。


ヒデヨと父さんは何を食べているだろうか、温かくしているだろうか、私達は満州と朝鮮の寒さを知っている。
母の骨壷の前のミカンを見て、コウはそんな高価なものを買うんじゃないと言った。
私「花を買ってあげられないし、ミカンなら時々私達も食べられる。」


コウ「お湯が沸いたから行こう」「新年おめでとう」
コウが餅をくれた。私はコウに用意しておいたお茶を出した。
コウは泣きだし「靴のお金をつかうんじゃない」泣きながらお礼を行った。
正月休みの10日間でコウが私のオーバーコートを軍服から作ってくれた。
継ぎ接ぎだらけだが、私には素晴らしいものだった。私はすぐにオーバーコートを着てみた。

大雪の日曜日、私達は舞鶴に行って、終日滞在した。
ヒデヨの名前の紙を貼り替えて、作ったものを売った。
雪が私の靴を打ちつけ、足指の感覚が無くなった。
学校に再び戻ったとき、授業料が月15円に値上げになった事を知った。
母さんが4月まで払ってくれていたが、あと45円払わなければならない。
雪の地面で、カンも落ちていない。
コウの小物を作るのを手伝い売るのを頑張れば月15円稼げるか。
コウに授業料値上げを言ったら、「絶対に必要だ、母さんのお金を使う時が来た」と言った。
100円出して、銀行で両替して、私にお金をくれた。
コウに大学の授業料が値上げしたらどうすか聞いてみた。
「4月に値上げする。学校終わったら、どこかで仕事する。4月までは学校生活を楽しむ」との事。


「いじめられない?」と聞いた。
コウ「最初はいじめられた。でも着物を色つきの糸で縫う事が出来ると知ったら、いじめはなくなった。驚いてた」
なんで色つきの糸なの?誰かが白い糸を隠した。
一所懸命営業しても1月はあまり売れなかった。歩くたび、靴が破れてる部分が口を開く。
でも、母さんのお金を使う事は最小限にしたい。


コウは靴磨きの収入と食費を理解していた。私は神社でコウを見かけたことを言わなかった。
コウ「この冬食費で母さんのお金を使う必要があるかも」
私「手をつけたくない」ホテル裏のゴミ箱ビンあさりを提案。
コウ「あなたにもうそれはさせられない。無料で寝るところも料理する所もあるし」
私はどうやって春までやり繰りするんだろうと思った。
今はみなブーツを履いているので、靴磨きの客が少ない。

やれる事をやろう。コウの手細工を売りに歩く時間を増やそう。
ある朝、歩いて学校に行こうと線路沿いを歩いた。駅ごとのベンチに座る。
同級生がいなかったのに安心。
6個目の駅で新聞が風で散乱して、それを拾う。燃料にできる。
新聞を整え、「エッセーコンテスト」の欄を読む。年齢制限もクリア。
それは、朝日新聞の朝刊だった。学校へ行く途中読んだ。懸賞作文の募集要項が書いてあった。
路面電車が通り過ぎる時「ぬいぐるみ人形!」と割れた窓から女生徒が叫んだ。
唇をかんだ私は、その子をぶっ飛ばしたかった。その子を踏みつけるように、足を踏みつけた。
だが、私は、懸賞に当選し、その賞金でコウと私の食べ物の事を考えていた。


毎日私は、線路を歩きながら文章を考えた。400字詰め50枚で20000文字書く必要があった。
ゴミ箱からの紙の裏に400字の枠を描いた。
月の最後の日は学校に行かず、朝日新聞の京都支社に向かい三条通りを歩いていた。
郵送するお金が無かったから懸賞エッセイを、会社の入り口の大きな箱に直接入れた。


2週間後に結果発表。その時、図書館にいった。
校長は朝刊を読んでいるとの事。私はがっかり、でも校長室には行けなかった。


翌朝、私は緊張した。どうしても当選したい。
教室はいつもより騒がしかった。私が入るとシーンとして皆私をみた。
私は気にしないで、英語の教科書を読んだ。英語は好きだ。
英語の吉田先生は、私によく章を読ませる、私もつっかえないように読みたい。


女生徒が私の英語の教科書の上に新聞を投げてきた。なんというマナー。
読むと、グループ2の受賞者に私の名前と「理解」のタイトル!。
私は笑って、握り拳を作った。コウとみそ汁とご飯が食べられると思うと涙が出た。
朝鮮時代に書いた「カナリアバード」に続き、2回目の受賞だった。
女学生どもの態度が少し変わった。皮肉っぽくなり、冷たくなった。
彼らは私のエッセーが嫌いのようだ。先生も誰も受賞の事は言わず、学校も喜んでないようだ。
新聞社は受賞式を開催した。コウは彼女の制服にタックをつけて用意してくれた。
男の保護者が必要だが、私はなんとしても出席したかった。ナイド氏に保護者として来てもらった。


何カ月も食べた事がない位沢山食べた。
コウのためにもってきた新聞の中に食べ物を入れた。
1万円の賞金をもらった。しかし、靴は買わなかった。賞金で何週間も生活ができる。
包みのお金は私達の安全保障。
1週間後、校長室に呼ばれた。


<10.思いがけない訪問者 >
エッセーの事か、停学を覚悟していた。しかし、賞金、生活がかかっていた。
「座ってください」校長が言った。
「マツムラという男性を知ってますか?」と校長。
ちょっと考えて「朝鮮でマツムラ伍長を知ってます」
校長「この封筒は貴方宛。開けました」
マツムラ伍長から来てた手紙だった。胸が高まった。


父が他人の手紙を開ける事を禁じていたのを思い出した。
「校長、あなたは本人の前に開封すべきではなかった」
校長「私は責任を感じている。貴方はまだ若いから」
私「私が最初に見たら、先生に見せたでしょう」
校長は返事をせずに私に手紙を渡す。
京都三条ホテルの紙で書かれていて、住所の紙も入っていた。


「新聞の懸賞を見て書きました。本人かは分かりませんが、
朝鮮のナナムで同じ名前の女の子がいました。本人なら返事ください。この住所に」
読んでる途中で涙がこぼれおちた。戦争で生き残られたんだ。「校長先生、彼は家族の友人です」
急いで帰ってコウに手紙を見せた。コウも信じられないとうれし泣きした。
近況の返事を書いた。近所のポストに出した。
少女が男にホテルに会いに行くのは習慣的にいけなかった。保護者が入ればいいのだが、コウが結婚してればと思った。
コウ「すくなくとも伍長は生きてて元気だね。いつか会えるでしょう」電話できればいいのに。
コウ「生きている間2度と戦争が起きなければ」
北風が倉庫を揺らし、寒い中、コウはしき布団を倍にし、予備の布団も使って寄り添って寝た。


郵送して2日後、最後の蚕の実験中、ナイド氏が入ってきて先生に耳打ち。
私は校長室に呼ばれた。母の事を言わなかったから?授業料がなくなった?出来が悪い?懸賞の事?
不安がよぎる。心臓がドキドキする中、静かに校長室に入る。「彼女が来ました」
マツムラ伍長がいた。
私はマツムラ伍長に飛び込んで泣いた。伍長の涙も私の頭に落ちた。

マツムラ伍長と家に帰る事になった。
研究室に戻り、荷物をリュックに入れる。路面電車に一緒に乗り、家に帰る。
毛布を4回折って座布団として座ってもらう。母の骨壷にお参りしてくれた。コウが帰ってきた。
コウは涙を見せないようにしてたが、ハンカチを出して「ようこそ」というのが精いっぱいだった。
伍長は仕事でこの町に来ていた。
質素な夕食後話をした。伍長は、新潟陸軍病院に配属になった。
日本海を渡るときに米軍の爆撃にあい、丸太につかまり四日間漂っていた。
日本の漁船に助けられた。すでに原爆が落とされ戦争が終わっていた。故郷の盛岡に帰った。
そして、家業の絹織物会社を継いだ。
私「それで私の衣装について、病院でいってたの?」
伍長「そうだよ、私は素材の質がわかるんだ」
伍長は結婚する事になっており、夫婦とも子供を待望している。女の子だった「ヨーコ」とつけるよとの事。
私の「武運長久」の書をまだ持ってて、事務所に飾ってくれてるとの事。
「濡れてしまったが、幸運を運んでくれる」
伍長は私に靴を買ってくれようとしたが、店は閉まっていた。
伍長は生活費をくれようとしたが、私達はとりあえず十分なお金はあると言った。
伍長は住所を書いてくれて、何かあったらいつでも連絡して、こちらからも連絡するからとの事。
伍長は深夜特急の切符をとっていた。コウと見送りに行った。


母とも駅で別れ、今伍長とも別れる。孤独ですすり泣いた。
伍長は「兄弟が戻ってきたら、歓迎の印として渡して」と腕時計をくれた。
「泣かないで、がんばって勉強を続けてね」
発車のベルが鳴り、伍長は飛び乗る。伍長は着席して手を振る。私達は深くお辞儀をした。
私は時計を握りしめ、列車が見えなくなるまで見ていた。


<11.ヒデヨの帰国 >
キム夫妻と16才、14才の男の子の住む家。玄関でドサッと音がした時食事をしていた。
「風だろう、ヒーチョ見てきて」
ドアがあかない「なにかがドアを押している」「たぶんイノシシだろう」
土間から大きなマサカリと紐を持ってゆく。イノシシが納屋の周りをまわっていると思った。


戸を持ち上げて外すと、ヒデヨが倒れていた。意識なし。ヒデヨの服に触れると凍っている。
ヒデヨを中に運んだ。土間にわらをひいてヒデヨを寝かせる。
キム氏がザックを外す、夫人が朝鮮の服を脱がすと日本の学生服が現れた。
ヒーウォンが「日本人なの?」と父に聞く。


「リュックサックと桜の制服ボタンから彼は日本人だろう」
ズボン、靴、靴下は4枚履いていて半分凍っていた。
夫人は体を拭いて胸をマッサージした。ヒーウォン「見て!腹巻とノート」
ノートは貯金通帳だった。通帳から名前もわかった。共産軍に見つからないようにザックと通帳を隠した。


キム氏は暖炉の木を増やして温かくした。夫人は足と体をマッサージし、
乾いた靴下に砕いた唐辛子を入れ履かせた。
唐辛子でマッサージも続けた。ヒデヨに寝巻を着せ毛布でくるみ、回りをワラで覆った。
キム氏「食事の間に彼は回復するだろう」


「もし彼が死んだり、日本人の少年を助けたと誰かにバレたら、
賞金目当てで裏切られやられる。彼は私の甥で日本人に殺された。
で、私達と生活している。こうすれば危なくない」


彼らは早く食べ終わり、砕いたニンニクのお湯を作り、ヒデヨに飲ませた。
ヒデヨは少し飲み、足は少し温かくなった。
手はまだ冷たいので、二股手袋に砕いた唐辛子を入れ履かせる。
二人の息子が寝てだいぶたっても、夫人はヒデヨの体をマッサージし、
ニンニク水と砕いた唐辛子をヒデヨに与えた。蒸気の為、水を沸騰させた。
「あなた」夫人が呼ぶ。キム氏がヒデヨの頬を叩く。ヒデヨは生き返った。あまりの疲労で動けなかった。
ヒデヨはどこにいるのか、ここの人は誰なのか分からなかった。そして、彼のものはどこにあるのか?
ヒデヨは夫人が与えるもので毒殺を恐れる、夫人は自分で食べて安全を見せる。
それは胃に良かった。ヒデヨは自分が誰か、どこから来たかを伝える。
ヒーチョが学校から帰ってきたら「君は僕達のいとこになるんだよ」と言った。
もちろんヒデヨはソウルに行きたかったが、体調が悪い。
キム氏はさらに「非難民が南へ逃げているが共産軍に殺されている。君は親類。
体調が回復するまでここにいなさい」と言った。


立てるようになったらすぐ、ヒデヨは農家の手伝いをした。わらつむぎ、小屋修理。
たまに町へキム氏と行き、むしろを売る。
夕食後にバケツ二つの水を台所に置いておく。
ヒデヨはヒーウォンの算数を手伝い、政治の話し合いをした。政治の単語を覚えた。
春が来て、ヒデヨはリンゴの木の保護わらを外すのを手伝った。


花から花へハチが飛んでいるのを見て、故郷青森のたくさんのリンゴ畑を思い出した。
そして両親を思い出した。両親も青森出身だ。
両親と姉妹への思いが募った。ある夜、夕食時にキム家族に出発しなければならないとヒデヨは言った。
「いてくれ、私達の子供になってくれ」とキム氏、「どうか残って」ヒーチョとヒーウォンも乞うた。
夫人も泣いた。「でも行かないといけません」ヒデヨは言う。
春の仕事が終わり、月が出てない夜なら見つからないで出発できるでしょう。
最後の夕食後、ヒデヨは荷物を詰めた。
家族の写真、通帳、毛皮、服をザックに入れる。
夫人は大きな米櫃を竹の箱に入れてくれた。


キム氏はいくらかの金をくれた。ヒデヨは拒否しようとした。
ほとんどの金を政府に払わないといけない貧しい農民だから。
しかし、キム氏は金をもってゆけと朝鮮の金を渡した。
ヒデヨは感謝の言葉をたくさん伝えようとしたが、涙で胸が締め付けられ声にできなかった。
夫人も泣いた。キム氏と握手する。キム氏は頷く「なにも言わなくてもいい。わかってる」と言うかのように。


リュックサック姿は日本人とわかるので、紐と黄麻袋で包んで朝鮮スタイルに夫人がしてくれた。
ヒーチョは遠く川まで一緒に来てくれた。
イムジン川は朝鮮で4番目の大きい川。38度線と平行に流れている。
アメリカ兵が支配している南朝鮮、ヒデヨはこの境界を越えるとより安全だと知っていた。
川はキム家から4マイル(約6.4km)。


日が暮れてからキム家を出た。深い森に入る前に、再度タオルで3回手を振る。
川は共産軍にくまなく監視されていた。監視塔からのサーチライトが川面を照らしていた。
黄麻袋をほどき、服も足袋も脱いだ。それらを全部ザックに入れ、
もし、荷物が頭上から落ちても荷物が流れないように、頭の上に置きロープで縛った。
暗い川面を見た。もしスポットが当てられたら、殺されて川が深紅に染まるだろう。
ヒーチョと握手「気をつけて」「ありがとう。親切を忘れない」ヒーチョ「いまだ!」
サーチライトが通り過ぎた後、ヒデヨは川に入って行った。


思った以上に水は冷たく流れが速い。ライトが来るたびに潜り、ザックだけが流木のように出るように。
何度も何度も潜らなければならなかった。
銃撃音が聞こえた、ヒデヨに撃ったのか、他の者か、野生動物へかは分からない。
ヒデヨにライトが来て、深く潜った。再び銃撃音。
銃弾はヒデヨのバックに当たり、水面に入っていく。水中を銃弾を貫く音があちこちする。
ヒデヨは更に深く潜る。流れが彼を運ぶ。
南岸についたとき光が当てられたが、疲れ果てて死んだように横たわる。茂みを這って行く。
彼は危険な38度線を脱出した。
自由の深呼吸をした。神とキム家に感謝し、彼らが夢で私が越えられたとみられればと思った。
朝鮮服、毛布、家族写真、は毛皮コートで守られてて湿っただけだった。
川にかなり流されて、方向が分からない。濡れた毛布を広げ眠る。


起きた時、まだ明るかった。おにぎりとキムチを食べる。
ニンニクの漬物を食べると、吹雪のキム家を思い出した。
ヒデヨは死の淵から危うく助かった。捕まることも恐れる事も、撃たれる事もなくなった。
喜んで歩いた。道路を探して藪を通る。農家でソウルまでの方向を聞き、早歩きで向かう。
40マイル(約64km)黄麻袋で歩いた。日本人のリュックサックはある理由から彼は使いたくないと思ったのだろう。
たぶんキム家への感謝の念だろう。ソウルについてすぐ駅に行く。メモにソウル駅で待っていると書いてあった。
姿が見えないので駅の職員に聞くが余りに沢山の日本人の母子が来てたので分からなかった。
七夜彼は駅の隅に寝泊まりし探した。家族は死んでるんじゃないかと思いだした。


赤十字に行って調べると、川島の名前は無かった。たぶん家族は運よく帰国できてるのだろう。
避難民証明書をもらい、釜山へ向かい船で帰国の方向へ。ナナムをでて8カ月で初めて列車に乗る。
貨物のフラットカーに乗る。
非難民でかなり混んでいるが狭いスペースに座る。歩かなくていいのが彼にとってとても幸せだった。
姉妹の「釜山で待つ」という柱のメッセージは気がつかなかった。
釜山港は定期便で避難民は日本に帰国していた。ヒデヨは舞鶴に上陸した。新聞で名前が書かれてないか調べた。
「妹が書いてる!」ヒデヨは叫んだ。


<12.再会 >
寒い冬はコウと私にとって辛かったがマツムラ伍長との再会で何とか耐えられる。
伍長さんと奥さんは、たまに残り物、糸、干物、漬物、米を送ってくれる。
伍長は注文をとって着物生地でコウに服を作るよう求めた。
遠くに住んでいるけれど、荷物や手紙が来るたび、近くにいるように感じた。
毎回、切手を同封して、私達がどうしてるか、勉強の進み具合を聞いてきた。


ある日、伍長は「人捜し」のラジオ番組に、父とヒデヨの名前を出してもらうと書いていた。
週末の10時か、平日の6時。私達はマツダさんの許可を得て、平日の6時にラジオの前にたった。
伍長が話しているかのようにラジオの棚を見上げた。番組が始まった。
「川島ヨシオ、その息子ヒデヨ、について何か知っている人、盛岡の絹織物会社へご連絡を」


私達は、商品を作り続けた、週末は舞鶴へ新しい名前の紙をもって行った。
空いた時間でコウは私に、伍長から戴いた生地でブラウスとスカートの作り方を教えた。
生活は少し楽になった。今必要なのは父とヒデヨだけだった。


何にそんなに時間がかかてるのか?妙心寺の森に鳥が歌い、桜も咲いているのに。
鳥はまもなく巣を作り、家族ができるでしょう。
死んでいる?死んでいると知ったてたら希望を捨てる、でも知らないのが苛立たせる。
学期が終わり、成績はオールA。でも、授業料使い果たしたので、もう学校に行けない。
償却炉に行き、ナイド氏に通知票を見せた。
「やったね」笑顔になった。カンの売上3円にお祝いの2円を足してくれた。
彼は誠実な友人、彼は他に話す人がいない。私はやめる事を言えなかった。
アサダさんは午後に花見に行くと知らせた。みな興奮していた。彼らは荷物をカバンに詰めていた。
私は花見がそんなに大したことか?と思った。私の心はそんな遊びの余地は無かった。
もっと重要なやる事があった。


そして、私は新たな心配があった。黒板の字が見えなく、先生の声が聞こえづらくなった。
コウの大学のスタイルショーを見に行くのを理由に花見に行くのを免除してもらうようお願いした。
しかし、スタイルショーには行かず、飛び込み営業でコウの服を売り歩く。
売れる度、お金をコウの作った小さなバックに入れ、ズボンのポケットにも入れた。


コウの夕食の準備の為に急いで帰った。天気が良いのでコウは靴磨きをしている。
また、私達が6時のラジオを聞くために。
しかし、今夜は何か良い物を食べたかった。魚。カンの売上、服の売上、ナイド氏の褒美がある。
雑貨店で魚を買い、残りの1円でティーバックを買った。私の通知票のお祝いとして...。
小川で魚の鱗を落とす。土の上にはタンポポが生えている。


竹の葉で魚を包み、バケツと包丁を持ってきた。コンロを作るのには慣れていた。
火の中にバケツの水とタンポポの葉を入れる。
タンポポの葉が縮むので魚を取りだしてまたバケツの水汲みに戻る。
コンロに戻った時、工場のガラスドア越しに一人の男が見えた。


彼は黄麻袋を腰につけた朝鮮式の服だった。
朝鮮時代、李夫妻がつけていたのを覚えている、何も運ばないときは頭につける。
しばらく私は幸せだった過ぎし日を思い出していた。
また、タンポポを取りに戻るとき、男は雑貨店に向かっていた。
おそらく彼は朝鮮人でここら辺を知らないのだと思った。
彼は朝鮮人で日本ができなく、道に迷ったんだと思った。
おそらく、私は彼を助けられる。しかし魚の串を探してコンロに置いて、草を絞らねばならなかった。


それから私は倉庫の前に出て行った。彼は振り返り戻ってきた。
彼はこっちに向かってきた。「今晩は」完璧な日本語だった。


私は彼が近くに来るまで待って、よく見えるようになった。
「おお!ヨーコ!おお!ヨーコ!」走ってきた。
私は一瞬何が起こっているのか分からなかった、そして叫んで兄の腕の中に飛び込んだ。
「おかえり!兄さん!」
その夜、私は3つの寝床を作った。一つは兄によく眠れるように。
星が輝いていた。ナナムを出てから最も美しく見えた。
再会の喜びの為の花火のようだった。

−完−

※父は6年のシベリア抑留後、帰国した。


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Posted on 2013/05/27 Mon. 09:02 [edit]

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