07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

かけだし鬼女の 今が日本の一大事! ~よければ一緒に凸しよう!~

政治・経済・歴史オンチのかけだしが包丁とPC片手に、目指せ!凸と家事の両立!座右の銘は「国防は台所から」

小和田家の謎・雅子妃の闇 Part.1 〜祖父母の出生について〜 

「ブログランキング」と「にほんブログ村」に参加しています!
ご来場早々お手数ですが、2種類の応援クリックをお願いします(土下座)

*INポイントでランキングされます*
このブログ直接訪問→バナークリック→人気ブログランキング(にほんブログ村)に跳ぶルートがINポイント。
図々しいですが、お気に入り(ブックマーク)もしくは検索で訪問していただけたら幸いです(再び土下座)


↓ ブログランキングはコチラ ↓


↓ にほんブログ村はコチラ ↓
にほんブログ村 政治ブログへ


最近このかけだしブログを知った方もいらっしゃるでしょう!

こんにちわーーーーーっ!これからもよろしくねっ!

…(しーん)

…そんな訳で(?)初めましての方向けはもちろん、もいちど拡散したい内容を
この2年間の膨大なエントリ(自画自賛)からリアップしていこうと思ってます。

今回は、先日のオランダ訪問で火がついたのか?
1年前のエントリなのに未だに閲覧者が多い
小和田家の謎(3回に渡る壮大な(?)シリーズです)をお届けします。

このシリーズは内容が内容だけに、コメが非常に、多かった。

=====


いつまでもアンタッチャブルではいられない!そう、皇太子妃雅子様です。
「雅子妃を!」といくつかコメント欄からご要望いただいておりましたが、
いろいろ警鐘のブログを渡り歩き、を!これも!これも!とやってると、
まあ、長文になりますわな。つか、いろいろ憤怒と驚愕の事実、大杉!アタマくらくらしてきます。

なんで3回シリーズ(←予定←確定)にてお届けしたいと思います。
大河小説っぽく祖父母編、父母編、そして雅子妃編。今回は祖父母編をお届けします。

「日本が好きなだけなんだよ」様より抜粋転載
雅子妃と小和田家の闇
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-748.html

内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。
紀子様の名誉を守るためにも皇室のためにも日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。
「富田メモ」で「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に
「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答
反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのではと言われている。
当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。
宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。
そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)
そのため、身元調査は打ち切りになった。雅子妃の家系調査への抗議を認めた記事

『部落解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」の記事

小和田家
一代目 小和田金吉(生年月日、生地、両親不詳)→ 二代目 小和田毅夫 → 三代目 小和田恒

*金吉の前は不明

金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。
宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、
金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、
表に出せないということがわかる。地方では割合先祖のことを調べることは容易である。
新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。
雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、
小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。
小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。
匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。
その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。
お妃内定のときも結婚の時も本家筋の方は誰一人出てこなかった。
本籍地の村上市から新潟へお墓を移すときも金吉しか動かしていない。
村上市ですら、よくわからないと言っている。
「小和田新六から曽祖父金吉までは不明の点が多く、調査が待たれる」

村上市の西真寺と新潟市の泉性寺の言うことにも食い違いがある
1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)
「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」
「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない

2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言
「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります…
30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」

泉性寺の檀家談
お墓は奥の方に非常にみすぼらしいのが建っていました。それが、皇太子のところに嫁ぐのが決まったら、
場所もいいところに移動して、大変立派なのが俄かに建てられました。

3 ご成婚前の小和田家の墓参り
両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない
(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)

4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野のお墓は所在不明
5 専門家の意見
「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、
仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」
金吉が匡利の子なら匡利12〜13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 
一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている

6 新潟県村上市小和田本家の証言
TVでのインタビューにて老当主が
「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた
以上より
・「金吉の墓」または「小和田家の墓」の所在地が不明なのはなぜ?
(再婚してない場合毅夫母の竹野の墓の所在も不明)
・毅夫は西真寺から泉性寺に父金吉の墓を移すと寺に言いながら泉性寺にお墓を作っていないのはなぜ?
・泉性寺の小和田家の墓が「金吉の墓」又は「小和田家の墓」ではなく「匡利(道蔵)の墓」なのはなぜ?
・仮に金吉が小和田兵五郎の三男なら西真寺に兵五郎の墓を残したままで恒、
毅夫が当地に来ても墓参りしないのはなぜ?
・毅夫氏自身はどの小和田のお墓に入ったのだろうか?
江戸時代、犯罪者予備軍の無宿者は新潟の佐渡ヶ島の金山に送り人足として使役、
明治維新で解放されたこの人らの戸籍や墓は?(ご先祖流れ者説)
戸籍を誰かから入手した?戸籍売買?(ご先祖は日本人ではない説)
金吉は認知されていない子だった?(私生児説)→母方から先祖はたどれるはず
同じ姓の墓をどこからか入手した?(捨て墓置き場から…説)(墓が個人名でツギハギな点と欠けている点がポイント)
先祖の墓参りをしない家なら先祖を敬うしつけや教育を受けていないので
祭祀を無意味としか思えない雅子妃の態度にも合点がいく

▼小和田金吉
・人物像は不明、名前の読みも不明(きんきち?かねきち?かねよし?すら不明)
・どの読みでも「下級武士」の出とは考えられない。(小和田家主張=武士)
・墓がない(それほど昔の人ではない。恒氏の祖父である)曽祖父の墓はあるのに? 
▼つぎはぎの墓
墓石つぎはぎの理由→昭和55年(1980)に小和田毅夫氏(=小和田恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調
墓石には「小和田匡利墓」とある(個人名)→小和田家ではない。
墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」
小和田匡利→新潟県村上市の小和田本家「分からない」回答

金吉の墓はどこの寺にあるのかわかっていない。村上市の西真寺には小和田金吉の墓はない。
移したはずの泉性寺にも小和田金吉の墓はない。あるのは匡利の墓のみ)
皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)
そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??
明治時代に生きていた金吉以前の戸籍が存在しないというのは不可解。
私生児もしくは捨子とも考えられるが戸籍が存在しない出自とも考えられる。
部落民と言う話もあるし、犯罪者、あるいは半島から新潟へ流れ着いて戸籍を買った、
または奪ってなりすましたという話も出てくる。
(成りすまし…元々戸籍を持たない人が、小和田家の金吉と言う人になりすましたということ)
だから現実として年齢が合わないなどのボロが出る。
後継ぎが居なかった小和田金吉の家系を利用してなりすます、
このやり方で日本人になりすます朝鮮人は大勢居る。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。
村上の士族小和田家が村上をはなれて戊辰戦争に負けてちりぢりになったのは明治の初年。
士族小和田家は明治初年以前も調べがつく

問題は小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。
だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで
本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。
佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)

朝鮮から密航してきたX=金吉。
明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。
もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。
X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)
村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして
朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない

婚約時代の墓前報告の写真によると、にわか作りの墓石の土台の上に苔むした古くて小さな墓石が
ちょこんと乗っかっている。先祖の供養もしていないことがありありとわかる写真だった。

母方江頭
江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。
エガシラ→エタガシラ *全ての江頭さんがそうだというわけではない。
江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに部落民に遡る可能性は高い
以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が
自分のルーツ探しに九州へ行った。そこで知った現実に相当のショックを受けたという。
そこそこの家なら、わざわざルーツを探さなくても先祖のことなら代々受け継がれて聞いているはず。
なおタレントの江頭2:50も親戚(2:50の方が本家筋)
優美子さん父は豊(チッソ)、豊の父は安太郎。この安太郎が母親から青山の墓地に埋葬しています。
それ以前の墓地は不明とあります。(結婚記念誌に記載)
江頭家の出身は九州ですが、不思議に父親のお骨は東京へは引き取っていないのです。
彼は九州の自分の出自を恥じてひた隠しにしていた。
また安太郎の妻米子が古賀家から嫁いで居ますが、
この古賀家も佐賀の阿弥陀寺にながい間無縁仏として放置されていた。
近年になってそれらの無縁仏を一箇所に集めて合祀されている。
雅子さん祖父・嘉蔵は明治維新までは鍋島家の家臣だったとされるが
明治初年の佐賀藩侍着到(出勤簿)にその名はない。
番太部落出身で「いわれなき差別を受け」小学校の小使いの職にしか就けなかった江頭嘉蔵。
息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。
江藤淳は今上陛下を雑誌で批判(1999年7月21日自殺)
「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない…」
その叔父も自殺。遠縁の江頭2:50も精神を一時患った。
正田家は数百年遡れる名家、公家の血筋も入っている。
川嶋家も会津藩士(藩士録にちゃんと載ってる家)&紀州の名士
小和田は不明

海外誌
日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態、
しかもその最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。
許しがたいのは、その下賤な血のなせる業か、マスコミを使って皇室を攻撃する。国民を騙す。
1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は部落民」だと発言。
その後、なぜか川嶋家同和説が広まった(何者かによって意図的に広められた)
川嶋辰彦氏は同和問題の研究もしていたので、いかにも信憑性をもって悪意のある噂が広められた。
そもそもは家柄ではなく、雅子さん本人と実家の行状が問題。雅子さんの先祖がたとえ部落出身でも、
3代前から不明でも、公害企業の社長でも、父親が機密費横領でも雅子さん本人がきちんとしていれば、
両親、先祖のことであれこれ言われることはなかったはず。
生まれが卑しい…という言い方をするべきではないが他の皇族方の出自を捏造して貶めるのだから
(このやり方、どこかの国に似ている)事実をはっきりさせたくなる。
家系を乗っ取るということをなんとも思わない一族。だから皇統も乗っ取ろうとした。
女系、雑系にして、小和田墓のように、ツギハギにしようとした。恐ろしい。
どんなに卑しい素性でも、とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、
本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。
あの一族全員がやることなすこと下品。

出自なんて、本人の努力でなんら関係ないという見方もあるが、
出自が悪いと育ちも悪いというのは否定できない。

=====

…ちょっとまってよ、ねー!何だこの出自?アタマがクラクラしてきますわ、
そりゃS価も雅子妃に肩入れするよな、お妃候補になったときにBKDが抗議って…クロじゃね?

卑小な話だけど、かけだしに息子がいたとして、嫁候補が何人かいたら、そりゃ家系も調べるさ!
特に覚醒以降、息子(←いないけど)が朝鮮人ヨメ連れてきたらどーやって反対しようかと
全く無駄なシュミレーションし、夜も眠れない日もあるもん!(昼寝しすぎて:汗)

朝鮮人嫁貰って、泥沼離婚劇真っ只中の高嶋政伸の件、ほんとーに気の毒だと思うもん。
脈があると思われた時点でアウトっ!全力で騙しにかかってるんだもん、
ヨメに来たらこっちのもん、好き放題やり放題!って高嶋ファミリーは置いといて!
かけだしですら、ケースによっちゃあヨメ候補の出自は拘るよ!って話!
超:庶民のかけだしレベルででも!
ええ、庶民でもシアワセになる権利ある!文句あっか!調べさせろゴロア!

お妃候補の出自の綿密な調査することは、当然であり、BKDが出てくる幕じゃない(激怒)
なんてったって、万世一系の世界でも類を見ないご皇室のお妃様なんだもん!

つかBKDが出てきたって時点で「??」全力で止めるべきだったんだよー
で、BKDが庇う雅子妃の祖父:江頭豊がどんな人物か。

出自はともかく、その生き方で尊敬に値する人物も沢山いるよね!

で!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

上の引用内に「チッソ」「チッソ」ありましたが、
日本の化学工業会社「チッソ」が海に流した廃液により引き起こされた公害病=あの「水俣病」です。
そして江頭豊はチッソ株式会社の社長(1964年12月 - 1971年7月)として
水俣病問題の対応にあたった人物…早くも香ばしい予感…

「Taurosのインターネット案内」さまより抜粋転載
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html

雅子妃の祖父:江頭豊の責任
1.水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
水俣病の原因がアセトアルデヒドの製造工程から出る有機水銀である事は、
チッソ社内では周知の事実であったし、熊本大学により証明されても、設備を稼働し続けた。
水俣病だけだと良く解らないが、新潟水俣病の年表を加えてみると非常に良く理解できるのだが、
江頭豊が社長に就任した翌月1965/1/10、新潟水俣病の発生企業、昭和電工がアセトアルデヒドの生産を停止、
製造工程図は消却、プラントは撤去してしまった。これは昭和電工が
「水俣病の発生原因はアセトアルデヒドのプラントから出る有機水銀である」と認識していた事を示している。
しかし、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造設備の運転を停止したのは1968/5/18であり、
新潟の水俣病患者が昭和電工を新潟地方裁判所に告訴し「公害対策基本法」が成立した翌年で、
昭和電工がプラントを撤去、製造工程図を消却してから3年半後だった。

2.患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった。
水俣病が公害病の認定を受け、江頭社長は1968/9/27から患者家族に詫びて回るが、
具体的な補償案を出さないため、厚生省が調停にのりだした(1969/2)のである。
しかし、厚生省は患者側に「この補償処理委員会の結論には一切異議なく従う」との
確約書提出を求め、患者側は一任派と自主交渉派に分裂した。
困窮のどん底に置かれている患者と家族には、卑劣極まりない態度と言われてもやむを得ないだろう。

3.謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。
チッソ水俣支社・東平総務部長がスウェーデンのジャーナリストに答えている
「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。しかし裁判にもちだすのは難しいです。
一般の人に相手側について悪い印象を抱かせることになります。まるで動物ででもあるかのようにね。
58年以後の病気の原因が、死んだ魚を食ったためなのか、水銀のためか解らんのですよ。
58年以後に発病した人に限って言えば、それで補償金を貰えるなんて、有り難く思って貰いたいものです」
(原田正純 『水俣病』p218)
自らの責任をごまかし、患者や家族に対するこの侮辱、何たる傲慢であろうか。

4.患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。(会長時代)
千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣を
チッソは暴力集団に襲わせた(1972/1/7)ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに
告訴せず、時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡した・・・
スミスの志とそれを暴力で封じようとした人達の心根、対照的である。

*かけだし注「ユージン・スミス」
アメリカの写真家。チッソが引き起こした水俣病の実態を写真に撮り、
座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。

=====

…皇太子殿下のお妃候補の母方祖父が、世界に名だたる公害病「ミナマタ」を起こした企業の社長…

↓ 昭和天皇は公害病についてこのようなお言葉を残してる ↓

昭和天皇 昭和45年(1970年)9月16日のお言葉(那須ご用邸での記者会見)
「日本の経済、国民の富が豊かになるように経済を発展させなければならないと思うが、
公害は日本から追放しなければならない。(中略)痛ましい病気も発生していると聞くので、
万国博のテーマでもある『進歩と調和』の言葉通り実行してほしいと思います」
『陛下お尋ね申し上げます』文春文庫P.146 より引用

=====

昭和天皇のお言葉通り、江頭氏が行動されたかというとさにあらず、
水俣病の原因だと分かってながら工場を稼働させ、事態を悪化させ続けた。
あまつさえ保証にも応じようとせず、患者を冒涜し、暴力団を雇って襲撃までさせた。
そんな「チッソ」の社長であり、会長であった江頭氏。

昭和天皇がそんなオトコの孫娘が皇室入りする未来をお知りになられたら、
どのように思われただろうか…

↓ part:2 、part3はコチラ ↓
小和田家の謎・雅子妃の闇 Part.2 〜父・小和田恒氏から日本政府の自虐史は始まった〜
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/6200b9775003bf50ff151451e66b0066

小和田家の謎・雅子妃の闇 Part.3〜そして、雅子妃と国連大学と…〜
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/34a608361d6369f953618485cfbc1a54

【継続はチカラ也!時間があったら凸っちゃおう!〜デイリー3凸のコーナー〜】

↓ 群馬の朝鮮人追悼碑を撤去だっ ↓
【緊急凸依頼・文例アリ】群馬にある「記憶 反省 そして友好」の朝鮮人追悼碑を撤去するチャンスだっ!
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/f3b91ed6c61686da0e5f88f6705846d1

↓ TPP反対 ↓
【再・集中抗議要請】百害あって一利なし!メリット不明のTPPに抗議しよう!「いつやるの?」「今…略」
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/b6b60742ce23598d5ed48127e9b1e3d5

↓ 通名禁止 ↓
通名のせいで、全ての犯罪が在日朝鮮人の仕業と思っちゃうの!濡れ衣は悪いから、通名禁止がいんじゃね?
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/064570544acf1461fb602160c83fea81

↓ スパイ防止法、はよ! ↓
支那朝鮮の「安倍政権転覆計画」に民主・社民・反日メディアが協力?「スパイ防止法はよ!」凸だっ(激怒)
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/272d45ec1b986427542fc2427afe9268



にほんブログ村 政治ブログへ
かけだし鬼女のツイッター【@migigimi】←みぎぎみ

スポンサーサイト

Posted on 2013/05/22 Wed. 17:24 [edit]

category: 反日勢力に激怒の日々

TB: 0    CM: 0

22

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form

トラックバック

トラックバックURL
→http://migigimi.blog.fc2.com/tb.php/51-b366582f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Trackback
list